アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語
プロローグにひすいこたろう氏からの予言が書いてあります。「この本を読み終える頃には,今度は,あなたがショーゲンさんのように,この話を1人でも多くの人に伝えたくなることでしょう。」
全部読み終わって,パラッとはじめをめくって,プロローグを再読し,まさにこの予言通りになっていたのでびっくりしました。とりあえず周りの人におすすめしまくろうと思います。
たまたま見て心打たれたアフリカのペンキアート1枚と驚くべき行動力によって,ショーゲンさんはアフリカのブンジュ村で暮らすことになり,そこで学んだことをたまたま話した一人がベストセラー作家のひすいこたろう先生で,それが新たなベストセラー本を生もうとは・・・。
ブンジュ村の教えをとおして日本人のすごさが分かる
この本はアフリカのブンジュ村で暮らす人々のことがメインに書いてあります。しかし読んでいると,昔の日本人って心が豊かだったんだなぁということが学べます。なぜならブンジュ村の教えは昔の日本人を手本にしているから。それがまわりまわって,日本人のショーゲンさんがブンジュ村で学び,ショーゲンさんが今の日本人に伝えているという・・・なんという因縁めいた話でしょう。
ひすい先生の縄文時代の話がおもしろくて,確かに縄文土器は食べ物を煮るための道具にしては余計な装飾がすごくて,逆に料理に使いにくそうです。これぞ現代人が忘れている「無駄を楽しむ余裕」なんだなぁと思いました。
虫の鳴き声がメロディーとして聞こえる日本人
「虫の鳴き声や葉がすれる音をメロディーのように美しく感じられるのは,日本人とポリネシア人だけだと研究でもわかっています。」だそうで,初めて知ってとても驚きました。
これを読んで,はた,と思い当たったのは,今年の夏に虫捕りに行ったときのことです。アメリカ人の友人が一度も虫捕りをしたことがない,ということで,虫捕りのエキスパート,私,アメリカ出身の友人の3人で山へ虫捕りに。エキスパートの指導のもと,その友人が初めて捕まえたチョウやトンボに大興奮したのを思い出しました。特にオニヤンマは巨大ですごかった。
私は小学生時代,夏や秋は毎日のように虫捕りに行っていたのですが,それも国が変われば当たり前ではないのですよね。そんなことに最近気が付きました。
ブンジュ村の村長の言葉「日本人は虫と話をするために,日本語を生んだんじゃないかな」
西洋人は虫の音(ね)をノイズ(雑音)として右脳が処理し,日本人は左脳で「声」として処理するということが実験で分かっているそうです。驚きました。
村長の言う通り,虫と話してみたいものです。話せたら蚊に「申し訳ないんだけど,利き手はかまないで」とか,ハエに「ご飯の上にとまらないで」と言えるかもしれない,と思いました。あとは,ミノムシに蓑(みの)の中の寝心地を訊いてみたい。セミにも「地中で長く幼虫時代を過ごし,成虫として地上に出てわずか1週間程度の命という生き方についてどう思いますか」と訊いてみたい。我々の食生活を支えるハチには心からの謝辞を述べたいです。
私は田舎に住んでいるからか虫をよく見聞きします。時にうっとうしいくらいです(すみません)。ブンジュ村の村長はショーゲンさんに「日本人に虫の音が聞こえなくなった時に世界が滅亡する」旨を話しています。「つまり,自然と対話できる人がいなくなったときに,地球の崩壊が始まる」と。
以前,養老孟司先生の本を読んで「蝶道(ちょうどう)」というものを初めて知りました。アゲハチョウなどには同じルートを巡回する習性があり,その道筋を蝶道というそうです。でも人間が,例えば勝手にそのルートにある木を切ったら,蝶道は狂うわけです。確かに,木を切るときに蝶のことなんか気にしないだろうなぁ,と思いました。
私がここ数か月続けているものに「闇風呂(やみぶろ)」があります。電気を消して暗い中で風呂に浸かるのです。これがものすごくリラックスできて,脳が,特に前頭葉がじわぁーっと休んでいる感覚があります。そのときに晴れていたら虫の鳴き声,雨なら雨音しか聞こえず,あとは静寂です。カエルが元気に鳴くときもありますがそれもよいです。私が虫の音をしんみりと聞くのはこの闇風呂のときと散歩のときです。今や闇風呂は散歩と共に私の心身の健康に欠かせない日課となっています。よかったらお試しください。
本のタイトルはブンジュ村のあいさつ
「おはよう。今日,誰のために生きる?オレは自分のために生きるから。それではまた」と大人も子どもも言うそうです。びっくり。他にも「失敗するのは人間らしくてかわいい」「あきらめる時間が来るのは幸せ」「あなたを信じてる」などなど,ブンジュ村の言葉はどれも衝撃的なほどに素敵でした。
最後までお読みいただき,ありがとうございました=^_^=